自販機は日本じゅう至る所にある。

都市はもちろん、誰が買うのと思えるような山間部や最果ての岬にも自販機はある。なにより特別特定の場所というのではなく、なんでもない道端から個人の家の軒先にまで自販機は置かれている。もはや自販機は日本という国を象徴する最もありふれた風景のひとつといっても過言ではないだろう。しかし、それが日本独特のものであることに気づいている人は意外と少ないのではないだろうか。

とはいえ、2011年の東日本大震災の時、原発事故が起こり、節電が叫ばれ、無駄なものとして一番先に挙げられたのが自販機だった。確かに自販機が無くても人間は生きてはいける。便利さに慣れすぎることへの懐疑だってある。だが、被災した岩手県や宮城県の現地では、津波で壊されたガレキの撤去が終わった後、一番始めに設置されたのは自販機であった。それはガレキ撤去などの復興を進める住民や作業員の飲料水の補給のためであったと聞く。

わが国では、自販機はもはやインフラというべき存在なのである。そしてまた、どこにでも置ける自販機こそが、いかに日本の治安が良いかを証すことにもなっている。アメリカには日本の2倍ほどの自販機があるそうだが、そのすべてが屋内に置かれているという。

 私の住んでいる北海道の冬は厳しく、雪も深いので、その時期の日常生活はなにかと不便で不都合にもなる。それでも自販機のおかけで温かい飲み物を手に入れることができる。温かいボトルを握りしめると、気持までもほっとするものだ。それは日本人独特のメンタリティーであるのかもしれないが、いつからか私にとっての自販機は昔から語り継がれてきた逸話の「笠地蔵」を彷彿とさせる存在になっていった。

日本最北端の稚内市に住んでいた頃、吹雪に見舞われ、自販機の灯で自分の位置を確認したことがある。以来、何とはなしに自販機を意識するようになり、いつの間にか自販機の灯に特別の眼差しと思いを巡らせるようになった。

ある雪の降る夜、自販機の灯に照らされて浮かび上がる雪のフォルムに魅了されてから、新雪が降る日は、夜な夜な出かけては、明け方に除雪車がくるまでの美しい情景を撮影するようになった。傍目には、かなり怪しい人に見えたに違いない。当然のことながら、撮影は難儀を余儀なくされたが、自販機と雪が織りなす不思議なフォルムと光との出会いを撮影するのは、私にとっては至福の時間となった。

 写真で作品を作るということは、普段見えづらいものを視覚化してゆく作業だと言われる。そのような意味では「自販機のある風景」はまだ始まったばかりというほかないが、自販機をとおして今の日本を見て行くと、いろいろなことが見えてくる。

 だから、これからも自販機のある風景を撮り続けていきたいと思っている。

2015年1月 大橋英児