ある時、私は、閉ざした踏切の前に立ち、ふと考えた。 踏切は、どこにでもあるありふれた風景だ。そして、誰もが一度は立ち止まったことのある場所なのだ。 遮断機が降り、警告音が鳴る。 信号さえない最北のまちで、そこで唯一、私が、立ち止まったのも、踏切であった。 幼い日の思い出と、どこかのんびりした踏切の音。そのイメージは、今も記憶の中に強く残っている。 鉄道は旅を思いおこさせ、人生をも連想させる。 私たちは、長い人生の中で、幾度となく立ち止まっては、過ぎた日々を振り返えり、立ち止まっては、未来に思いを巡らせるのだ。   私にとって踏切は、様々な記憶と結びついて、まるで思い出の玉手箱のような存在になっている。  踏切は、英語では、Railroad crossing、といいクロスする場所、もっと言えば人生の交わる場所と私には思える。
踏切は人々の色々な思い出が交差する場所と考えている。