北海道では、ササ藪の中を進むことを「漕ぐ」と表現する。この言い回しは、実際にその密生した藪を体験しなければ、本当の意味では理解しがたい。とりわけ「ネマガリダケ」(チシマザサ)は根元から弓のようにしなり、歩く者の足元に絡みつき、進路を阻む。前進は極めて困難となり、「漕ぐ」という独特の表現が生まれたのも頷ける。

明治期の北海道開拓において、囚人労働はこの「笹との闘い」を象徴するものだった。彼らは、繰り返される労働の中で、進むはずの道が果てしない絶望へと変わる現実に直面していた。生い茂る笹は、囚人たちにとって、終わりなき強制労働と苦悩の象徴であった。
そして現在──。囚人も制度も姿を消したが、笹だけは今なお大地に根を張り続けている。そこには、人間の営みを拒む自然の論理が、変わることなく息づいている。これは、絶望が解決されないまま自然へと引き継がれたことを意味し、囚人や制度は消えたが、かつて彼らを拒んだ自然の論理だけが残された、ということである。

明治24年(1891年)、網走から北見峠に至る全長163kmの中央道路を開削する際には、1,150人の囚人のうち216人が命を落としたとされる。当時の政府要職である金子堅太郎は、「囚人を使えば建設費が節約でき、死ねば監獄費も減る」と記した『北海道三県巡視復命書』を提出したという記録もある。政府はこれを根拠に囚人労働を正当化し、徒刑や流刑といった制度を新設して労働力を確保、多くの思想犯も含め苛酷な労働に従事させた。
しかし一方で、釧路集治監初代典獄・大井上輝前、留岡幸助、原胤昭らのように、キリスト教的価値観に基づき囚人の人権擁護に尽力した人物もいた。彼らは同志社の流れをくみ、北見周辺には坂本龍馬の甥・坂本直寛らが入植し、北の地に理想郷を築こうとしたという特筆すべき事実も存在する。

こうした歴史を北海道の自然はすべて包み込んでいる。それは、どれほど強大な制度や暴力であっても、自然の時間の中では一瞬の痕跡にすぎないということである。人の姿がない中で広がる増殖した笹の風景──そこは労働の痕跡が消え去った場所であり、人間の暴力は終わっても、自然の抵抗は終わることがない。その非対称性こそが、北海道の風景の静けさの本質であり、笹は癒しや回復ではなく、絶望が形を変えて今も存続している証なのである。

また、においが過去の記憶を呼び戻す作用があると言うことで、パフューマーの楠尚子との協働により、ササの香りを会場に再現する。そして嗅覚を手がかりに写真と記憶を結びつけ、「意図的想起」として記憶を可視化する試みを行う。

“Your eyes are our eyes”の作品は6つのパートから構成されている。
The 13
《The 13》は、笹のタイポロジー(類型)によって、「自然そのもの」ではなく「人間が介入したあとの自然のかたち」を微細な差異として浮かび上がらせる試みである。また、13という忌み数を使用することで、この地でかつて何かが起きたことを示唆している。タイトルに定冠詞 “The” を加えることで、この場所が特別であることの意味を強調している。「13」という数字は、明治24年に網走から北見峠までの163kmにわたる囚人道路建設時に設置された仮監獄の数を指し、多くの囚人が命を落とした場所でもある。作中に写るのは北海道の雑木林だが、焦点合成(Focus Stacking)によって隅々までピントが合い、人間の眼では捉えきれない異様な風景が生成されている。
GoogleEarth
《Google Earth》は、明治期に建設された囚人道路の痕跡を現在の地図と衛星画像によって追跡する試みである。現在、この道路のうち約30%しか利用されておらず、残りは雑木林や笹藪に覆われており、地上からその痕跡を確認することはほとんど不可能である。
しかし、Google Earth の視点──つまり宇宙からの視点──によって、わずかな痕跡をたどることが可能となる。人間の視線では見えないものが、別の視座から浮かび上がることを示している。
Traces of Touch
《Traces of Touch》は、この土地が持つ過去の意味を越え、「現在の自然」に触れる行為として、フロッタージュ(擦り出し)による痕跡を可視化する試みである。囚人たちの絶望を過去のものとせず、「触れた」という行為そのものが記憶として残される。さらに、フロッタージュで得られた笹の痕跡を再撮影し写真化することで、物質的な痕跡は一度可視化されたのち、無効化される。この過程は、「物質性を引き受け、裏切る」行為であり、これはまさに北海道という土地が人間に対して繰り返し行ってきた態度そのものでもある。人間中心の視点が常に裏切られる──その構造を象徴している。
Photogram of Return
《Photogram of Return》は、フォトグラム技法によって笹を感光紙に直接焼き付けた作品である。複数の笹を重ね、画面全体を覆うことで、「逃げ場のない自然の力強さ」を表現している。
一度根を張った笹は除去が困難であり、畑や集落の拡張を阻む「自然の壁」とも呼ばれてきた。光によって刻まれるその姿は、まさに自然のしぶとさの象徴であり、人間の営為を包み込む圧倒的な存在感を帯びている。
Transition
《Transition》は、生成AIによって作成された画像を、現存する囚人道路にプロジェクションし、その様子を撮影した作品である。生成されたAI画像は、現在この囚人道路沿線に暮らす人々の声をもとに、プロンプト(指示文)として入力し、生成されたものである。
このようにして生まれたAI画像を、かつて囚人たちが築いた道路に重ねることで、地域住民による「囚人たちへの感謝」と「鎮魂」という想いを、写真というかたちで可視化している。そしてそれらの想いが、現在も残る囚人道路へと「遷移」し、結びついていく可能性をこの作品は示唆している
Historical
《Historical》は、囚人道路建設時の時代背景や当時の人物についての調査をもとに構成された作品である。特に、9号仮監後として唯一現存する佐藤多七宅の写真や、明治33年に洪水で流された囚人の墓標などは貴重な資料である。
また、囚人の待遇改善に尽力し「名典獄」と称された釧路集治監初代典獄・大井上輝前や、唯一囚人道路建設状況を記録として遺した教誨師・留岡幸助の肖像写真も含まれる。
過酷な歴史の中で消えていった個々の存在に、静かに光を当てる構成となっている。